「実は……絵が描けなくなっちゃったんだ……」
エルくんに手渡された水を一口飲んでから、アールくんはそう切り出した。
「え、描けなくなった……って、どういうこと?
昨日だって、俺に色々デザインの相談してきたじゃない」
エルくんが不思議そうに聞き返す。
ルイくんも、アールくんからの言葉を待っているようだ。
「うん、そうなんだけど……みんなの好きなものや、ぼくのMG#4に対する想いを
どうやったらうまく形にできるのかって考え出したら、
わからなくなっちゃったんだよね……」
そう言いながら、アールくんが取り出したのは数冊のスケッチブック。
中にはいくつもの案が描かれていたけれど、そのどれにもバツ印がつけられていた。
「どの案も素敵だと思いますけど……バツ印がついているということは……」
私の横からスケッチブックを覗きこんでいたルイくんが、言いにくそうに口を開く。
「ダメじゃないんだけど……なんか違うんだよね……」
アールくんはため息をつくと、スケッチブックをバッグに戻した。
「あのアールが描けなくなるなんて……」
そうつぶやいたエルくんの言葉の先は、聞かなくてもわかる気がした。
(まさか……あの占い、本当だったの……?)
マダムの言葉を聞いたときは、正直「そんなことあるわけない」と、そう思っていたのに。
きっとエルくんとルイくんも、同じことを思い浮かべたに違いない。
「もうあんまり時間もないし、どうしようかなって……
このまま描けなかったら、あの占い通りに、イベントが成功しなくなるかも……」
私たちのそんな気持ちが伝わってしまったのか、
アールくんは更にしゅん、と眉を下げてぽつりと言った。
「アール、やっぱりあの占い気にしてたんだ。
……昨日も言ったけど、あんなの気にしちゃダメだって」
「でも……」
「でも、じゃないよ。アールがそんなこと言うから、
マネージャーまで不安そうな顔してるじゃん」
急に話題に出されて、私はドキッとする。
不安に思っていたのが、顔に出てしまったようだ。
(そういうエルくんも不安を感じてるように見えるのは私だけかな。
気のせいかもしれないけど……)
「とーにーかーくー! そうやって占いを気にするのはナシ!
そんな調子じゃ、浮かぶものも浮かばないよ!」
焦れたようなエルくんの声に、アールくんは、
まだ迷っているような顔でルイくんのほうを見た。
けれど、ルイくんもエル君と同意見だと言わんばかりに頷いている。
「そっかぁ……やっぱり、ぼく、少し考えすぎだったのかな」
アールくんがそう言ったとき、再びレッスン室の扉が開いた。
「おーっす! ……あれ? どうしたんだよ、オマエら。なんかあったのか?」
やってきたのはアトムくんだった。部屋に漂う、不安げな空気に違和感を覚えたのだろう。
眉をひそめながら、椅子に座る。
「えっと……実はアールくんがね――」
私は、先ほどの会話を説明する。
黙って聞いていたアトムくんだったが、
私が話し終えると、なんでもなさそうにスマホを取り出した。
「なるほどな~。それでみんなして暗い顔してたってワケか。大丈夫だって!
きっと一時的な……あー、えっと……そうそう、スランプっての? それだよ、それ!」
占いなんて関係ねえよ、と言って、ニッと笑ってみせる。
「やっぱりアトムくんもそう思う?
……うん、じゃあやっぱり、気にすることないのかもね!」
アトムくんにも言われたことで励まされたのか、
アールくんはさっきより明るい声を出した。
「アール、オマエは心配性すぎるんだよ、もっと──ん?
んんっ? ……え?」
いつものようにつぶやこうとしたのだろう。
しかし、ツイッターの画面を開いたところで、アトムくんの笑顔が凍りついた。
「どうしたんですか、アトム君?」
ルイくんが尋ねても、アトムくんは答えない。スマホ画面の、ある一点を見つめている。
「アトムくーん? どうしたの?」
エルくんが顔を覗き込もうとしたところで、アトムくんは急に声を上げた。
「な、なんでだよ!? なんでだ!?」
私たちはわけもわからず、お互いの顔を見合う。
「おい、やべーよ! オレ様のフォロワー数が減っちまった!!」
言いながら、アトムくんはずいっとスマホを差し出してくる。
「昨日より、20人も減ってる!! ウソだろ!? 信じらんねえ……これは絶対……」
「……絶対?」
「占いのせいだ!!」
さっき、アールくんにかけた言葉とは全く逆のことを連呼しながら、
アトムくんが部屋の中をぐるぐる歩き始める。
「アトム君、とりあえず落ち着いてください」
ルイくんに言われて立ち止まったアトムくんだったけれど、
それでもスマホ画面から目は離さない。
「フォロワーが数人変動することは別におかしなことじゃねーんだよ……
でも、さすがに20人は、やべえだろ!? ああ~……よくないことが起きちまった!!」
アトムくんは、うめき声を上げながらその場にしゃがみ込んでしまった。
(たしかにそんな急に人数が変動するなんてめったにないことだもんね……。
……やっぱりよくないことが起きてるのかな?)
私がそう思っている横で、アトムくんの肩を掴んだのはルイくんだった。
「アトム君、フォロワーの数が減ったのは占いのせいなんかじゃないですよ。
……そう! 単にアトム君のツイートがいつもより面白くなかったとか、
そういう理由です、きっと!」
「はぁっ!? そ、そんなことあるわけねえよ! ……あるわけ…………ねえ、よな?」
さっきまでの勢いはどこへいったのか、アトムくんは急に静かになる。
そして、ものすごい勢いでスマホの画面をスクロールし始めた。
どうやら自分がした過去のツイートをチェックしているようだ。
「……言われてみれば、ここ数日……いつもよりリツイートされてないかもしんねえ。
……オレのツイート、あんま面白くなかったんかな……」
そう呟くアトムくんを見て、不安げな表情のアールくんが口を開く。
「アトムくん……なんだかぼくと同じ状態になっちゃってるね……。
今までできてたことが、急にできなくなってる。
やっぱり……これって占いの……」
「……アール、落ち着きなよ」
そうエルくんが制止したにもかかわらず、アールくんは言葉を続ける。
「で、でも、ルイくんもエルも、もうちょっとマダムの言葉、
気にしたほうがいいんじゃ……」
しかし、当のふたりは口を揃えてこう言った。
「僕は非科学的なことは信じませんので……」
「俺、プラスな占いしか信じないタイプだからさ♪」
頼もしいな、と感心しながらも私には引っかかるところがあった。
(さっき、ルイくんがアトムくんを励ましてたけど……、
でも、なんかいつものルイくんらしくないような気がしたんだよね……)
そんなことを考えていると、近くにいたアールくんが呟いた。
「ぼくとアトムくんが心配性なだけ……か。うん、悩んでても仕方ないよね!
マネージャー、遅くなっちゃったけど、打ち合わせしよっか」
アールくんとアトムくんの話でうやむやになりそうだったけれど、
私はここへ打ち合わせをしに来ていることを思い出す。
「そうだね。えっと、これが当日の会場図なんだけど――」
「なぁ! やっぱこれか!? 深夜に飯テロしたのがまずかったのか!?」
「……え? メシテロ? なんですか、それ。
……というか、さっきからずっとツイートをさかのぼっていたんですか!?」
「あ、俺知ってるー。飯テロって、みんながお腹空いてるけど
食べられないような時間帯に、あえて美味しそうな食べ物の画像とかを
アップするんだよね! あーぁ、アトムくん、飯テロはまずいよ~。
俺だったら即ミュート……っていうか、場合によってはブロックしちゃうかも?」
「ええっ!? まじかよ!?」
「ちょ、ちょっと、みんな! マネージャーの話聞こうよ……!」
アールくんが必死に止めてくれるが、他の3人の耳には届いていないようだ。
(話を聞いてくれないのは困るけど……落ち込んでるより、
こうやって騒いでるほうがみんならしいのかもしれないね)
でも、今はできることをやるしかないのだと、自分に言い聞かせる。
みんな、このイベントのためにたくさんの準備をしてきているのだ。
その努力を無駄にはしたくない。
私は、気を取り直してパソコンに向き合う。
そのそばで、4人はアトムくんのツイートの内容について盛り上がっていた。
(ふぅ……)
まずは、盛り上がったこの4人にどうやって話を聞いてもらうか。
それを考えるところから始めたほうがよさそうだ。
★☆★
――次の日。
私はまた一番にレッスン室へ来ていた。今日も、昨日に引き続き打ち合わせだ。
(資料はこれで全部だよね? あと確認しなきゃいけないことは……
あ、エルくんの手品! 昨日見られなかったから、後で確認しなきゃ)
ノートパソコンを開きつつ、プリントアウトしてきた資料をまとめていると、扉が開いた。
「あ、みんなお疲れ様!」
入ってきたのはアトムくん、ルイくん、アールくんの3人だけだった。
何故かエルくんがいない。それに、ルイくんの顔色も悪く見える。
いつもとは違う光景に、昨日の今日で、もしかして何かあったのではないかと
思わず身構えてしまう。
「ルイくん、どうしたの? なんだか顔色が悪いけど……」
「えっ? そ、そうですか? いつも通りですよ?」
「そう? ならいいけど……あれ、エルくんは今日は一緒じゃないの?」
私がそう聞くと、3人とも曖昧な顔をした。
「うん……エル、今日は学校を休んでて……」
「え!? どうしたの? 私の方には特に連絡はきてないけど……体調不良とか?」
ここでまた曖昧な顔をされる。詳しく話を聞いてみると、
どうやらエルくんは朝「今日は学校休む」とだけ言って部屋にこもってしまったらしい。
昨日の様子を見る限り、どこか具合が悪そうには見えなかったけれど……。
「メールしても全然、返ってこねえしな……」
アトムくんがスマホを確認するが、新着のメッセージはないようだった。
「私、ちょっと電話してみるよ」
私はエルくんの番号を呼び出し、さっそくかけてみる。
「つながりましたか?」
心配そうに見つめているルイくんに、私は小さく首を振った。
スマホからは、むなしく呼び出し音だけが響いている。
「ったく、エルのやつどうしたんだよ?」
「とりあえず、もう少ししたらかけ直してみるね。……と、その前に、ルイくん」
急に名前を呼ばれからか、ルイくんがビクッとする。
「な、なんですか、マネージャー……」
……やっぱりおかしい。さっき部屋に入ってきたときから、
なんだか様子が変だとは思っていたけれど……これは多分、何か隠している。
「エルくんも心配だけど……今日はルイくんも様子が変だよ。何かあった?」
「あぁ、それは――もがっ!?」
何かを言いかけたアトムくんの口を、ルイくんが手で塞ぐ。
「~~~っ! なにすんだよ、ルイ!」
「す、すみません。でも……僕の口からちゃんと言わせてください……
マネージャー、本当にすみませんでした!」
ガバッと、ルイくんが直角に体を折り曲げた。
その勢いに、私たち3人は思わずぎょっとしてしまう。
「新しい振り付け映像のデータを、間違って消してしまったんです!!
今日マネージャーにも確認してもらおうと思っていたのですが……
あっ! いえ! 別に占いのせいにするわけではないですよ!?
これは僕自身のミスですから……!」
必死に取り繕おうとしている様子を見ると、やはりルイくんも気にしていたようだ。
「ルイくん、データが消えちゃったのはしょうがないし、
そんなに落ち込まなくて大丈夫だよ。でも次からは気をつけてね」
「はい……すみません。頭の中にはあるので、後で撮り直したものをお渡しします……」
ルイくんの問題はこれで解決した。
たとえ映像がなくても、みんなならルイくんのお手本だけで踊れるだろう。
さて、残すはエルくんの問題だ。
あのルイくんでさえ占いの結果を気にしていたとすると、エルくんも……
という可能性は十分にある。
そう思っていると、私のスマホが着信を告げる。
慌てて画面を見ると、エルくんからだった。
みんなにも聞こえるように、スピーカー設定にしてから通話ボタンを押す。
「も、もしもし!? エルくん、大丈夫!?」
『あ、マネージャー……ごめん、今日そっち行けなくて……』
「エルくん、どうしたの? 体調悪い?」
『ううん……そうじゃないんだけどさ……』
その言葉に少し安心する。だけど、いつものエルくんじゃないことは声を聞けばわかった。
みんなで画面のほうを見て、エルくんからの言葉を待つ。
『……まりもが……』
「……え?」
『まりもが、いなくなっちゃったんだ……!
やっぱりあの占い師の言ったことは本当だったんだよ!!』
――まりもがいなくなった。エルくんは今たしかにそう言った。
「えっと……まりも?」
『朝起きたら、俺の部屋にあった、まりもの数が減ってたんだ!
このままじゃ準備どころじゃないよ!!』
「……」
なんと返したらいいかわからず、私は口をつぐんでしまう。
すると隣で、アールくんが小さくつぶやいた。
「……ねぇエル、昨日の夜水槽を洗うからって言って、
何個かぼくの部屋に置きに来たよね」
『あっ……』
再びみんな黙ってしまう。
すると、アトムくんが私の手からスマホを取り上げ、叫んだ。
「エーールーー!! オマエ、今すぐここに来い!!」
「うわっ!? アトムくん声でか――」
エルくんが言い終わる前に、ルイくんがスマホをアトムくんから奪う。
「エル君! 僕は自分のした失敗をちゃんとマネージャーに謝りましたよ!
だからエル君も早くここに来てください。
みんなに心配かけたことを一緒に謝りましょう!」
『え? ルイくんもなにかやらかしたの? それは見たかったかも――』
再びエルくんが言い終わる前に、今度はアールくんがスマホを取ると、言った。
「エル!! みんなですっごい心配してたんだよ!? とにかく!! 今すぐ来て!!」
3人は、私のスマホを奪い合うようにして、エルくんを説得しにかかる。
(私のスマホ……壊さないでね……)
背中に冷や汗が伝ったところで、電話口から小さく声が聞こえた。
『…………わかった。今から行くよ』
その答えに満足したのか、アールくんが通話を切る。
私からもエルくんに一言伝えたかったけど、仕方ない。
「じゃあ……とりあえず……エルくん来るまで、打ち合わせしよっか……」
手元に帰ってきたスマホの無事を確認すると、私はパソコンのスリープモードを解いた。
★☆★
「……」
明らかにふてくされた顔で、エルくんが正座している。
到着早々、アールくんに「そこに正座!」と言われてしまったのだ。
「今回は占い云々じゃなくて、エルが悪いと思うよ」
アールくんがそう言うと、エルくんは渋々口を開いた。
「…………ごめん」
なにはともあれ、占いのせいではないとわかってほっとした。
これでやっと4人揃って打ち合わせに入れる。
「……でも、絶対あの占いのせいだと思ったんだよ。
俺がまりもの数を間違えるなんてありえないし」
「エル君。占いを気にしていたのなら、昨日のうちに
言ってくれればよかったじゃないですか。
全く気にしていないと思っていましたよ……」
「ルイくんだって、非科学的なことはどうとか言ってたけど……俺見たよ?
ルイくんが昨日の帰り際に『占い 信憑性』ってネットで調べてたの」
「え、そうなの? ルイくん」
「あ、あの……違うんです。そ、それは……」
「なんだー。オマエもやっぱり気にしてたんだな、ルイ!」
3人から言われて、ルイくんは真っ赤になってしまった。
(何でもなさそうな風にしてたけど、やっぱりみんな気にしてたんだ……
うん、でもここは私がビシッと言おう!)
「みんな! 打ち合わせの前に少しいいかな?」
私が声を上げると、4人が一斉にこっちを向く。
「今回のイベントのために、みんなで色々と準備してきたよね。
だけど、この前の占い結果で色々と不安にもなっちゃったと思う。
今自分に起きていることが全部占いのせいだったんじゃないかって……」
それぞれが考えこむように視線を泳がす。私は言葉を続けた。
「私も、そうだった。でも、みんなが一生懸命に準備する姿を見て、
絶対に失敗したくない! って思ったの。
だから……不安なんて吹き飛ばして、できることを精一杯やろう!」
みんなの視線が再び私に戻ってくる──その表情はどれも明るい。
「……そう、だよな! こんなことで負けるオレたちじゃねーっつーの!」
「うん! 星の巡りが悪くなるなんて運命、ぼくたちで変えちゃえばいいよね!」
「じゃ、俺もとっておきの手品を披露するよ♪ みんな、びっくりしないでよね?」
「全員で最高のもの作りましょう!」
4人は口々に、そう言ってくれる。もう、暗い顔をしていたみんなはいない。
「あ、そうだ……! 僕からひとつ提案があるんですけど、いいですか?」
ルイくんがカバンから何かを取り出しながら、言う。
「今回のことで色々とバタバタしてしまいましたし、一度初心に返ろうと思うんです。
だから……」
そう言ってルイくんが差し出したものは、数枚のDVDだった――
つづく